「当たり前」は当たり前じゃない|じいちゃんが教えてくれた、一瞬を大切にすること
9月、義父が突然逝ってしまいました。それはあまりにも突然で、最初は嫁の私にも理解不能でした。少しずつ、日が経つと共に実感していく、そんな経験でした。亡くなり方は、恐らく本人も予想もできなかったであろう出来事でした。
葬儀が終わったのは、亡くなってから9日が過ぎてから。当たり前の日常が、急に二度と会えなくなる。「当たり前」や「絶対」ということは無いのだということを改めて教えられ、今、この瞬間がどれほど大切かを感じる日々でした。
最後に会った日のこと
不思議なことに、義父は亡くなる数日前、私たちの家に1人で顔を出しに来てくれていたのです。いつもあるというほど当たり前のことでも、特別というほど珍しいことでもない来訪でした。
その時、子供達は照れもあるのか、普段しないような勉強をしたり、読書をしたりして、じいちゃんの側には行かず、隣の部屋で過ごしていました。「じいちゃん、ばあちゃんが来ている時は、お話したり、お話がなくても同じ部屋にいなさい。顔を見に来てくれているんだから、顔を見せてね」と言っていたのですが、やっぱりどこか「顔なんていつでも見れる」と思ってしまうのでしょう。言うことは聞きませんでした。
そして今回の突然の出来事。最後のお別れでは、義父の顔を見ることすら叶いませんでした。
子供達が受け取ったもの
子供達に義父の死を伝えた時、どのくらい受け止めているのか心配でした。しかし、そんな心配は要らず、子供達はしっかり受け止め、しっかり前を向いて生きていました。
もう私が言わなくても、子供達は一瞬一瞬を大切にしてくれるようになりました。義母が来れば、必ずみんなでリビングで過ごし、帰る時はみんなでお見送りをする。当たり前は、当たり前じゃないんだ。そのことを、子供達は身をもって知ったのだと思います。
偶然、義父が最後にうちに来た日に撮った写真があります。義父は映っていない、子供達の遊びの中で撮った1枚を見て、「これ、じいちゃんと最後に会った日に撮った写真だよね」と呟いた息子。祖父との時間を少しずつ思い出に変えていっている姿がありました。
一瞬一瞬を大切にして生きる
今を大切に精一杯生き、感じ、受け入れたり、手放したり、許したり。生かされていることに感謝が湧き、人とのご縁が大切で、愛おしくなる。いちにち、いちにちが奇跡の1日です。
じいちゃんが教えてくれた、最後で、これ以上ない最高のこと。子供たちも私も、大きなものをいただきました。心からの感謝を伝えたいです。会って伝えられないと考えると悲しくなってしまいますが、きっと聞こえている。ありがとうございました。
